フランス留学のためにミニマリストになりたい女

アラサーでフランス音楽留学中の女が奮闘する記録。

「歌がうまい」ってなんだろう

歌うことって原始的で根源的な行為ですが、突き詰めると本当に複雑な要素が組み合わさったものだなぁと思います。

「歌がうまい」って当たり前に言葉にしますが、実にいろんな解釈があるというか、いろんな人がいろんな意味で使ってると思うのです。

 

最近よく見かけるのがカラオケ採点で歌のうまさをはかるテレビ番組。あれは見ているとわかると思いますが、音程があっているか、音量、ビブラートなど機械が判定できる基準をいかにクリアしたかで点数が決まります。

もちろんめちゃくちゃな基準ではないので、ある程度の判定はできていると思いますが、カラオケの高得点=うまい、点数が低い=高得点より劣る、ではないことは見ていれば明白だと思います。

私も見ていて、明らかにこの人の方が上手なのに~!という人の点数が下回っていてトーナメント敗退しているのをよく見かけます。

そういうゲームだと割り切って見られていればいいのですが、あれで優勝した人が一番歌がうまい!という事にはならないと思います。

 

他に個人的に日本人の傾向っぽいと思っているのが、声が大きい=歌がうまい、と言っている人が多いな、ということです。

いい声だった、声に圧倒された、というのを歌がうまいと表現する人は結構いると思います。

(結構宝塚とかミュージカルファンにもこの傾向があるような。)

 

ここが結構私は引っかかっていて、いい声だけどつまらない歌だな・・・と思うことは結構あって、そういう時にはやはり「いい声」であっても「歌がうまい」ではないな、と思うのです。

個人的な趣味の話にはなってくるかもしれませんが、やはり「歌がうまい」のは聴いていて退屈しない、面白い歌が歌える人だと思うのです。

 

その面白さは色んな要素があってよくて、言葉の表現の仕方が面白かったり、リズムの表現が心地よかったり、アドリブが面白かったり、色々な声色を駆使するのが面白かったり、様々な個性、オリジナリティが面白さだと思います。

結局のところその人の個性、その音楽を通して何を表現しようとしているかということ、その表現しようとするものが音楽といかにマッチしているか、そういうところが歌のうまさではないかな、と私は思っています。

 

なので、変な声だけど歌はうまいな、とか、癖強いけどうまいな、とかは全然ありうると思うのです。

ともすると画一的な基準を求めがちな世の中な気がするのですが、(カラオケの採点とか)わかりやすさとか絶対的基準を求めてわかったような気になるのではなくて、色んな基準の色んなよさがあるよね、という世の中になったらいいなと思う今日この頃です。